2020年11月

1: 2020/11/28(土) 16:24:14.21 ID:FGktgMu90● BE:123322212-PLT(14121)
 AV誕生から40年。AVは時代とともにどのように進化してきたのか。アダルトメディア専門家の安田理央氏が、AVにおける「プレイ」「女優」「メディア」の進化について解説する。

 AVの誕生は1981年と言われている。それ以前にも成人映画をソフト化したものなどは存在したが、この年に初めてビデオで販売することを目的としたソフトがリリースされたのだ。
しかし初期のAVは成人映画の延長でドラマ中心の内容だった。

 ビデオデッキの普及とともにAVは人気を集めるようになる。最初のヒット作が代々木忠監督による『ドキュメント・ザ・オナニー』シリーズだった。
ビデオの特性を活かした生々しさが衝撃的な作品だった。その頃、ビニ本を制作していた会社が次々とAVに参入し、成人映画とは違った撮り方で新しいスタイルを築き、ユーザーもそれを支持したのだった。

 1980年代後半に人気を集めたのが可憐な美少女路線を打ち出した宇宙企画だ。早川愛美、秋元ともみ、かわいさとみなど、同社の専属女優はアイドルのような人気を誇った。
時にはセックスシーンがない作品もあるほどにソフトなものであったが、それでも売れに売れた。

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 その一方で村西とおる率いるクリスタル映像、ダイヤモンド映像は、ハードな本番路線で一時代を築いた。彼らが生み出した過激なプレイは、その後のAVに定着した。
そして、ダイヤモンド映像からデビューした松坂季実子は空前の巨乳ブームを巻き起こし、どんどん巨乳インフレが進んでいった。

 1990年代に入り、バブルが崩壊するとAV業界にも不況の波が押し寄せる。この頃から、ギャラが高騰化していた人気女優の出演作よりも、安い制作費で作ることができる企画モノAVが中心となっていく。

 その中から独自のスタイルを確立したカンパニー松尾や、社会派ドキュメントAVという世界を切り拓いたバクシーシ山下などの監督が注目を浴びる。
これは小さく軽く、しかも高画質なビデオカメラが登場したことも大きい。テクノロジーの進化はAVの進化にも影響を与えているのである。

 1990年代半ばから、インディーズと呼ばれる販売専門のAV(セルビデオ)も台頭し始める。セルビデオは、当時ビデ倫では許されていなかったヘアを無修正で映すこともできるなど、より過激な内容と企画で売れ行きを伸ばしていった。この中からソフト・オン・デマンドやムーディーズといった現在でも人気のメーカーが生まれている。

 2000年代に入ると、新勢力のセルメーカーの勢いが、旧勢力のレンタルメーカーを逆転。AV業界の勢力地図が書き換えられていった。この頃、AVの記録メディアがVHSからDVDへと移り変わったことで内容にも変化が訪れる。簡単に飛ばし見ができるようになったため、通して見なければならないドラマものよりも、プレイの内容ごとに各コーナーが独立した構成が好まれるようになったのだ。

 2000年代以降主流となったジャンルのひとつに「熟女」がある。それ以前にも熟女をテーマにしたAVはあったが、あくまでも「おばちゃん」といったノリのキワモノやマニア向けという印象が強かった。しかし2000年代に入ると多くの美熟女女優が現われ、「成熟したイイ女」として熟女の人気が高まっていった。その背景として、AVユーザーの高齢化も挙げられるだろう。

 2000年代には芸能人のAV出演が相次ぐ一方で、AV女優のテレビ進出も盛んになる。芸能界とAV業界がシームレスになっていったのである。

 2010年代は、業界のコンプライアンス意識の高まりもあり、ハードな作品は減少傾向になる。プレイで差をつけるのが難しくなったことで、本格的なドラマで差別化をはかる作品が増えた。特に、彼女とは別の女性に惹かれた男の出会いとセックスの3日間を描いた朝霧浄監督の「3日間もの」は脚本、演出のレベルの高さから多くの類似作品を生んだ。同様にドラマに重きを置いた「女上司もの」「寝取られもの」なども人気を博した。

 一方、長らくテレビ画面で視聴していたAVは、VRの登場で新たな表現方法と視聴方法を獲得した。映像ソフトも、物理的なメディアからネット視聴の配信サービスへと拡充し、AVはさらに幅を広げていく。2010年代の技術の進化はAVとユーザーの付き合い方も変えていったのだ。




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